椙元紋太 すぎもと もんた

 


椙元紋太


知つてるかあはゝと手品やめにする
鼻唄の出る暮しよい秋となり
健康というペしバナナ立てて食い
につぽんを囲み昆布の森うごく
神様に親子五人と申上げ

1890-1970
本名:椙元文之助
別号:
著述:
 句集『わだち』(昭23)
『茶の間』(昭29)
『椙元紋太句集』(昭43)
『新川柳鑑賞』(昭34)

明治45年、ツバメ会同人として川柳入門。昭和4年6月、「ふあうすと」を創刊。「川柳は人間であるである」を生涯の信条とする。「川柳味は川柳として独自の持味、川柳に限つてそれを尚ぶ雰囲気、永きに渉つて川柳の保たれている風格、川柳において初めて発揮し得る境地、柳人の多くが川柳なりと認めている情緒、そんなものをひつくるめて、そこからかもし出てくる一種の匂い、味い、そうしたものを捉えてこれを川柳味という」―それが紋太の終生の主張であった。また紋太晩年期の主張に「川柳明治発生説」がある

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