正格(定型) せいかく

a)一句一章

 十七音の中で、言葉にも意味にも切れがなく、全体がひとつながりのものをいいます。

磨くほかない一足の靴である

 気息のうえでは「磨くほかない 一足の 靴である」と軽く切って読めますが、意味的にはひとつながりで、この作品の余剰は、「である」と読み終わった直後から、読者の中にひろがり始めます。
 意味の繋がりというのは、一意の中に対立する概念を持たないということで、中断や休止を必要としない一元的内容の作品化です。
歴史的、発生的な性格から、川柳にはこの形式が多くあります。


b)二句一章
 十七音の中で、言葉と意味の切れが、5-75 あるいは 57-5 と二つに切れるものをいいます。
霧深し 夫婦の思想寄り添えず

 「霧深し」と切れた上五の天象と、中七以下の夫婦の内的な状況とは、論理的なつながりはまったくありません。
 にもかかわらず、その間に置かれた空間によって、外側の世界と内側の世界が微妙に交響し、ひとつの雰囲気を生み出しています。
 この作品が、文字としての内容以上にひろがりを持つのは、一章の中に置かれた切れの効果です。

c)三段切れ
 5-7-5と切れる三段切れは、構成上プツンプツンとした印象を与え、内容的な統一が難しく、特殊な効果を意図した場合以外は、佳句が生まれにくいとされています。
冬の蝶 一羽舞い立つ 訴状より

 この作品の「舞い立つ」は終止形で切れますが、仮に上下を入れ換えて、
訴状より一羽舞い立つ冬の蝶

 とすると、「舞い立つ」は連体形になり、一句一章のかたちになります。
 どちらを選ぶかは作者の自由で、この場合はあえて三段切れを選んだものでしょう。
 
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