同じ五岳が、天保一二年(一八四一)年に大阪の河内屋茂兵衛から出版した『えほんやなぎたる畫本柳樽』初編は、まったく『俳諧畫譜集』と同じ体裁をとり、川柳(俳風狂句)と絵とを組み合わせて出版された。俳諧の句よりも川柳のほうが面白かったようで、この刊行は大ベストセラーとなった。翌年には、二編、三編が刊行され、天保一五年までに六編を刊行。同書二編には、初編の発行数が一万部を越えたことが記されており、当時の人気が偲ばれる。
折しも、天保の改革による出版統制の嵐を受けたが、『教訓柳樽』などと改題してうまく逃げている。内容はまったく変化をみせていない。さらに弘化年間にはいると、二代葛飾北斎こと葛飾たいと載斗が七編から一〇編まで継続されることになる。
この本の成功は、幕末から明治初期にかけて、『絵入柳樽』を模した多くの〈絵川柳〉書籍を輩出することになる。何でも絵があり、句を添えて「柳樽」といえば売れてしまうブームが巻き起こった。
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