戦前の川柳漫画  
   



『誹風柳多留』5篇口絵


大正以後は漫画家がこれに代わることになる。
いったん無内容に近い堕落した狂句作品から、時事的句が用いられるということにより、川柳と漫画の関係も新鮮さをとりもどすことになる。

宮尾しげをによれば(「国文学 解釈と鑑賞」第18巻7号)、近藤浩一路が井上剣花坊の句で木版画として出版した組み絵が、「川柳漫画」の名で呼ばれた最初であるという。大正のはじめには『川柳漫画ふところ手』(佐藤紫絃)、大正一五年には、西田當百、岸本水府編で『明治大正 時事絵川柳』が出版され、昭和初期から戦前にかけて川柳漫画ブームの本格的到来を迎えることになる。
『川柳漫画 累卵の遊び』(昭和3、麻生路郎)、『滑稽文学漫画』(昭和3、清水対岳坊、宮尾しげを)『古今名句川柳漫画 蔵ざらへ』(昭和4、高田峰雪)、『川柳漫画 いのちの洗濯』(昭和5、谷脇素文)、『漫画川柳時代相』(昭和5、風来山人)、『川柳漫画』(昭和5、井上剣
図20.『楽天全集 金言警句川柳漫画集』(昭和6)
谷脇素文の漫画は、これ以降川柳漫画の代名詞のようになる
花坊)、『川柳漫画と番附いろいろ 社会百面相』(昭和6)、『金言警句川柳漫画集』(昭和6、北澤楽天)、『川柳漫画行進曲』(昭和7)などの間に、昭和五年から六年にかけては平凡社から『川柳漫画全集』全一二巻(矢野錦浪・三太郎。うち二巻は未刊)が刊行されている。
漫画の筆者としては、清水対岳坊、宮尾しげを、北澤楽天、細木原青起などがそれぞれの個性を見せたが、大衆的人気を集めたのは谷脇素文であった。「川柳漫画」といえば〈素文マンガ〉のイメージに独占されたかたちになったのは、その絵の説明的でマンガチックな表現と句の選択によるものだろう。その是非は別として、昭和前期の川柳普及に素文マンガが果たした影響は大きい。

 

 

 

 
       
 

 

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