『誹風柳多留』5篇口絵
戦後は素文の遺鉢を受け継いだ津田穣が第一人者となり、元講談社社員の藤田小次郎が川柳普及会を結成して、漫画化の原句の向上を図るなど、一時期は復興の兆しを見せたが、社会的な好尚の移り変わりとともに、娯楽雑誌の色ページ的扱いに甘んじていた。 マンガ専門誌「まんがっぽ」や「漫画人」(図18参照)などにその例がみられる。