戦後の川柳漫画  
   



『誹風柳多留』5篇口絵


現在では昭和初期のような〈川柳漫画〉というジャンルとしてのブームはなくなり、メディアや書籍、雑誌等に川柳欄の添え物としてマンガが利用されている場合が多い。一例をあげれば「大法輪」のような雑誌では、毎回高点句をマンガ化している(図18参照)。また、卑猥な絵を売り物にした句集も刊行されている(図22)が、これは、幕末の『末摘花』を絵の題材として売り物にし、堕落への道を辿った後追いとも考えられ、疑問を感じてしまう。
マンガと川柳を本格的に扱った書籍の刊行は、私家版で趣味的に行われているものをのぞくと、ほとんど見当たらないが、一九七六年から週刊朝日に「ブラック・アングル」として社会風刺マンガを連載し、〈サラリーマン川柳〉の選者のひとりでもある山藤章二が、『人の噂も五七五』(図23)を昭和五九年に出版している。本人が跋文で「この本は“時事川柳”と“似顔絵”という日本文化のボトムを担う二大表現を結集した希書である」というように今日では〈希書〉的存在であるが、時事川柳という表現形式とマンガを組み合わせたものは、明治期に大きなブームをもって迎えられた方法でもあった。
山藤章二の類まれな似顔絵のセンスは、時事川柳とマッチしてひとつの表現世界を現出している。しかし、これがジャンルとして他の漫画家にまで影響を与えるまでにいかなかったのは、川柳という文芸の今日における社会性の低さから来るものなのかもしれない。
また、大きな出版社(小学館)の「ビッグコミックオリジナル」に連載された四コマ漫画「Good House Show」(後に『百年川柳』と改題)からもマンガ川柳が生まれた。業田良家という漫画家が単行本化した。さらに、「最初はギャグとして取り上げたのがきっかけとなって川柳に深く傾倒。一九九六年より、読者投句ページ『川柳虎の皮』を主宰する」ことになったこの著者は、まったく川柳を解することがなかったにもかかわらず、この募集欄は人気をもって迎えられ、『川柳虎の皮』も単行本化され、二冊目も出版された。「自由部門・特別大賞」となった作品(図24)は、
 おもいきりガチャンと切りたい携帯電話
が句として使われており、川柳としても、もちろんギャグとしても鑑賞できないレベルを露呈している。仮にも、ブームであったッ昭和初期には、水府をはじめ路郎、三太郎、雀郎、錦浪といった川柳の大家が選にあたっており、川柳素人の漫画家が選にあたったのでは、どうしても川柳としてのアイデンティティーに欠けるものばかりが取り上げられてしまい、川柳が扱われるという〈功〉よりも一般社会に不適当な川柳の概念を植え付けてしまう〈罪〉の方が大きく現れてしまう。
本格的な漫画家では、はらたいら の『まんが川柳』(平成17)が刊行された。漫画家として一流の作家の手になるものであるが、絵の面白さに比べて川柳作品があまり芳しくなく、大きなブレイクには至っていない。狂句的発想の言葉遊びの句が多いことが原因しているのかもしれない(図24)。すでに古書店やブックオフに新本が一〇〇円で出されているのを見ると、やや悲しい気がする。
〈川柳マンガ〉というジャンルにおいては、絵が軽妙で面白いことが重要であるが、社会に受け入れられるためには、川柳作品の面白さが不可欠であり、〈良い絵〉+〈良い句〉という出逢いがあってはじめて完結するのではないか。川柳とマンガは相乗効果で面白さを倍増させることができると信じたい。
川柳とマンガという出合いは古く、今日まで盛衰はありながらも脈々と続いている。
わたしたち川柳を楽しみとしているものは、今後良い〈川柳マンガ〉が誕生し、また新しいブームとして社会に親しまれることをを望んでやまない。

 

 

 

 
       
 

 

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