江戸時代の地震の川柳

 「津浪の町の揃う命日」は、特筆すべき優れた作品で、時を経てもまったく色あせる事がない。そこには、津波という現象と人間社会の関係が深く捉えられている。
 万句合や句会を作句契機とした江戸期の作品は、直接に作者や社会を読むという視点ではなく、一歩離れた第三者的視点で捉えられるものが多い。特に、五世川柳時代以降は、「柳風式法」という規範によって作句にも選句にも手枷を与えてしまった。したがって、安政の大地震という大災害に見舞われながら、直接その地震を読んだり記録したりした川柳はほとんど見られない。

津浪の町の揃ふ命日             『誹諧武玉川』初篇

 短歌の下の句と同じ「七・七」のリズムでシャープに切り取る「短句」の世界は、コトバが少ないだけに強烈なイメージのみを伝える。眼前の墓標の風景を描いただけだが、その背後には、同じ日に命を落した人々の姿と、一瞬にして多くの身内を喪ったこの町の深い悲しみが伝わってくる。時代を経ても生き生きとしている作品。


命日の揃た宿に浪まくら          川柳評万句合 宝暦九松

 『誹諧武玉川』は、川柳に少し先立つ俳諧書で、前句から附句が独立鑑賞される手本となったものだが、上記の短句と似た内容を17音で表した作品がある。
 「こわい事かな こわい事かな」という前句と見事に響きあってはいるが、「浪まくら」という語の登場によって旅人自身の「怖さ」に置き換わってしまった分、句は浅くなっている。

鯰の外はゆるがせぬ君が御代       『誹風柳多留』123別篇

 「君が御世」とは、徳川の世のこと。天下泰平であるべき徳川の治世では、「鯰」=「地震」以外に「ゆらぐ」ことはないという体制べったりの趣向の句。実際にこの句が生れた天保3年頃には、さまざまな内憂外患が起こりはじめていた。川柳は、天保の改革に際して自らの表現の自由を縛る「柳風式法」を整えることにより生き延びることを図った。 

白浪は黄金 津波は家を取り       『誹風柳多留』81篇

 「白浪」は、歌舞伎の「白波五人男」からも判るように盗賊のこと。当然「黄金」を盗るのが稼業。それに対し、同じ波でも「津波」は「家を取る」という対比仕立ての狂句。江戸時代の句の多くは、今日の「時事川柳」のように目の前に生起する事象を読むのではなく、課題に対して面白い趣向の作品を作る事が中心であった。

地震して世に名はひびく浄土房  扇鳥  「海内柳の丈競」安政3年

 安政の大地震の翌年の句集に現れた数少ない地震をテーマにした川柳。「地震」―「響く」の縁語構成で、「浄土房」に死者を暗示する以外、特に内容の薄い作品である。「柳風式法」の存在は、目の前の社会現象を描くという表現契機をことごとく奪い、単なる言語遊戯の閑文芸にしてしまったことは、これをもってしてもわかるだろう。

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