『狂句百人集』別名『川柳百人一句』  
   



教養文庫『誹風柳多留』初篇表紙より


狂句戯画
江戸では、天保六年(一八三五)に四世川柳の傘下・ほうぎょくあんさんはこ宝玉庵三箱というプロデューサーにより『俳風狂句百人集』という絵入り百人一首を擬した書物が刊行される。これは、四世川柳を巻頭に、当時の主だった俳風狂句作家一〇〇人の肖像と代表句を一冊としたもので、巻尾を飾る文日堂礫川まで、秩序を持った構成で統一されている(図7)。
図7.『俳風狂句百人集』より
   呑込メと歯の無い親父言いふくめ 入船連 通好亭仙子
ここに名を連ねることができたのは、江戸で活躍していた当時の作家であり、当然、四世川柳の選出によるものだろう。作家の職業や風俗が描かれ、当時の川柳家の職業を検証するのにはいい資料であるが、あくまでも〈百人一首〉の形式をとっているので、句に合わせた絵ないし絵にあわせた句という関係ではなかった。

 

 

 

 

 

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